ヒューマンを目指す

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同社の契約社員の店長、MTさん(当時三十二)が、前年の十月に脳出血で死亡し、労働基準監督署から過労死として認定を受けていたことが東部労組の発表で明らかになった。
Mさんの労災認定も、駆け込んできた遺族を同労組が支援した成果だった。 この事例は、非正社員までが「店長」として過重な長時間労働をさせられていたとして、メディアでも大きく取り上げられた。
職場の荒廃に歯止めをかけるはずの労組が、働き手の健康を害するような人員削減の旗を振る。 こうした事態は、なぜ起きるのだろうか.労働組合論が専門のTh・元T大学教授は、七○年代から八○年代前半までの低成長、九○年代以降の競争激化を乗り切ろうとする中で、労使協力が行き過ぎた、と見る。
「企業内労組は企業と一体だからダメだとの意見もあるが、企業内労組でも、昔は職場に根ざした活動が活発だった。 しかし、会社を守るため、社員の安全や健康を後回しにする本末転倒が起きている。

労組は優先順位をつけ直すときだ」。 六○年代の高度成長期、企業内労組は会社の成長に協力することで利益を膨らませ、その一部を割り戻すよう交渉することで、働き手の生活を向上させることを成功パターンとしてきた。
会社側も、生産性の向上に協力するタイプの労組を積極的に優遇し、政治的な課題に取り組むような労組は力を失っていったことは、何人もの労働関係者が証言している。 一九七三年に出版された『自動車絶望工場』では、Ty社自動車の工場内で期間工として働く作者のKkさんが、社内報に掲載された「自動車総連結成なる」の記事を読んだときの感想が書かれている。
「このことは労働者のこれからの運動に大きな影響を与えることになるはずなのに、職場で話題になったのを聞いたことがない。 毎日フウフウ言いながら働かされている労働者の現実に労働組合はなんらかかわっていないのだから、その労組の大同団結は関係ないということなのだろうか」。
だが、Thさんは著書「グローバリゼーションと労働世界の変容労使関係の国際比較」(旬報社)で、高度成長期に労組が「賃金所得の増大だけを求めてしゃにむに働いていたというのは皮相な見方」として、企業内労組が高度成長期に果たした前向きの役割も評価している。 さらに、その例として、五○年代半ばから七○年代初めまで労組の活動で労働時間の短縮が進んでいたこと、多くの工場で「臨時工の本工化(非正社員の正社員化)闘争」が展開され実現されていたことを挙げる。
それが変質していった転換点としてThさんが挙げるのは、次の二つだ。 一つが、七三年のオイル・ショックへの危機感から、多くの労組が「会社を守れ」と「労使協調」を強めたこと、二つ目は、九○年代のバブル崩壊後のグローバリゼーションの波の中で、会社が増えた利益を、国際競争力強化のための内部留保や株主の配当などに回し、労組が会社に協力しても従業員の賃上げなどの条件向上には回りにくくなったことだ。
「枯れた井戸から水はくめない」と、労組が井戸を守ることに協力しても、井戸の水は働き手に回ってこない。 多くの労組は、会社への協力によるパイの割り戻しという成功体験から抜け出せないまま、同じ歌を歌い続ける。
「優先順位のつけ直しを」というThさんの提案は、「健康や生命にかかわる問題なのに、職場の討議はまったくなかった。 民営化へ向けてがんばろうという感じで労組は会社提案を受け入れてしまった」。
○八年春、Yj株式会社に勤めるIhさん(五十五)とSyさん(五十八)は、東京の弁護士会館で開いた自分たちの裁判の経過報告会で、憤りをぶつけた。 二○○七年十月に民営化した同社の前身、Ny公社は○三年、連続四日までなら深夜勤務ができる「深夜勤」を提案。
Ihさんらの加入するNy公社労組と協定を結び、翌年、導入した。 人手は増やさずに「翌日配達地域」が広げられ、Ihさんらが働く都内の郵便物の仕分けを行う職場では深夜の処理量が急増。
四日連続深夜勤が始まった。 以前の夜勤は、拘束は十四時間だが二時間半の仮眠時間があり、翌日は解放された。
新しい深夜勤は、拘束は十一時間で短縮されたが、代わりに細切れでしか休めず、明けの日も夜勤がある。 連続徹夜状態で頭が働かず、食欲もなくなった。

ある職場の労組分会の調査では、七四%が疲れや意欲減退を訴えた。 こうした事態への警鐘だ。
「労組には導入前に当事者の意見を聞いてほしかった。 今も不満の声は多いが、労組の規約が変わって末端の支部委員会は必要なときだけ開くことになり、声を上げる機会も減った」と二人は言う。
そんなシフトで体調を崩すのは、Ihさんら五十代の社員ばかりではなかった。 公社になって以来、急速に増えている非正社員の一人で、同じく郵便の仕分け作業にあたるKyさん(仮名:三十四)は、木、金、土、日と週四日働く。
夜九時から朝八時まで拘束され、間に細切れの休憩が入って一日十時間働く。 八時に仕事が終わり、作業衣を着替えるなどして電車で帰宅。
午前十時ごろから食事をし、風呂に入り、午後一時ごろから午後五時半ごろまで眠り、夕食をとって午後八時ごろ会社へ出かける。 そんな日を四日続けた後、月曜は午前十時ごろ帰宅した。
誤配なども目立つ。 殺到する郵便物に作業が追いつかず、郵便物がたまってラインが停止。
大音響の警告音に追われ、疲れも重くなって間違いも起きる。 二○○四年、二人は、過労死を招くような勤務は生存権を保障した憲法に違反するとして、公社を相手に制度差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。

「過労死予防訴訟」だ。 しかし、夜勤続きの中で体調を崩し、「予防」はならないまま、二人とも過労によるうつ病を併発して「明け」となる。
翌日の火、水はだるくて、ただ寝ているだけ。 また翌日から一日十時間の連続夜勤が始まる。
高校を卒業し、郵便局でしばらく働いたが、資格を取ろうと退職して勉強を始めた。 だが、資格はなかなか取れず、以前働いていた郵便局で、○四年から非正社員として働き始めた。
四年間、この体制で夜勤を続けるうちに、体に変調を感じ始めた。 「頭がいつもぼうっとして、だるい。
体がベストな状態とはどういうものだったか、わからなくなってしまった」。 同僚のHkさん(仮名:三十九)も、「腰が痛く、睡眠障害が起きて睡眠薬を飲んでいる」と打ち明ける。
月収は手取りで二十万円程度。 それでもやめられないのは「生活費が必要だから」。
「転職すればいいというが、夜勤に次ぐ夜勤で働きながら、転職のための職業訓練を受けたり転職先をさがしに行ったりする気力が出てこない」。 つらいのは連続夜勤だけではない。
作業体制が実態に合っていないと思っても、上司が聞いてくれないことだ。 「民営化」への意気込みから、会社側は民間の効率主義に学べと、Ty社のカンバン方式を作業に取り入れた。
自動車会社は部品をパレット(鉄製のカゴ)に入れ、パレットがいくつできたかによって処理された部品の数を数えるという。 同じ方式で、パレットで郵便物の数を計算しようとするが、郵便物は形がまちまちなので、パレットを数えても何通あるかはつかめない。

それでも上司は、一生懸命パレットの数を数える。

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